8/31/2009

関係について

実際、
関わりたくても、関われないことがある。
関わりたくても、関われない人がいる。
関わりたくないのに、関わらなければならないことがある。
関わりたくないのに、関わらなければならない人がいる。

アタシ達には他人と関わりをもつツールがある。
思考、言動、行為。
何らかの状況下、条件下において、そのツールを
愛を込めて使うことも出来れば、
恐怖の表現として使うことも出来る。

水の結晶を研究している江本勝さんが書いた本、「水は答えを知っている」の中で言ってたっけ。ある実験で、ご飯を入れた3つのびんを用意して、
一つ目のびんには、「ありがとう」を始めとする愛を込めた感謝の言葉を投げ続け、
二つ目のびんには、「ばかやろう」を始めとする数々の罵倒の言葉を投げ続け、
三つ目のびんには、「。。。。」何も言葉をかけずにただ無視をした。
結果、
一つ目のびんは、ご飯が醗酵してお酒のようないい香りが、
二つ目のびんは、カビが生えて来て腐りかけて来て、
三つ目のびんは、真っ黒になってしまったと。。。

愛を込めた表現だけを続けて生きれれば、どんなに素晴らしいことか。
でも、たとえ罵倒や非難だったとしても、全く関わりを持たない、無視や沈黙の世界よりはいいんじゃない。関わりを持ちたいという表現の一つのような気がするから。恐怖の表現に対してこそ、愛を持ってWelcomeしていきたいところよね。
だって関われないこと程、寂しいことはないからね。
全ての関わりに感謝♡